感想:シン・エヴァンゲリオン劇場版:||
※ストーリーには触れませんが多少のネタバレあり、未視聴の方はブラウザバック推奨
エヴァンゲリオンは、私のオタク(自称)人格を形成したと言っても過言では無い作品だ。
小学高学年の時に、地元のレンタルビデオ屋さんでアニメ版と旧劇を観たのが最初の出会いだった。
当時は
「使徒とエヴァがきもかっこいい」
「裸の女性が出てくる」
「血だらけ」
「話が難しくてよくわからない」
程度の認識だった。
しかし言葉にできない部分で惹かれていたのだろう。
事実、何度もレンタルしたことを覚えている。
余談だが、配信サービスの波に流され泣かされてしまったレンタルビデオ屋には涙を禁じ得ない。
そして、中高時代には序破Qと漫画版に出会い、「物語としてのエヴァ」と「エンタメとしてのエヴァ」を吸収しながら成長した。
特に「Q」はショックが大きく、上映後もしばらく座席から動くことが出来なかった、
2009年公開の「アバター」を劇場で鑑賞し、3D酔いによってめちゃくちゃ気分が悪くなった時以来、実に3年ぶりのことである。
このような経緯に加えて度重なる延期もあった最新作「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」。
鑑賞後、最初に思ったことは
「エヴァンゲリオンが終わってしまった」
だった。
こんなはずじゃなかった。
いや、その心構えができていなかったと言った方が良いか。
序破Qと連なる新劇場版の最新作としてでは無く、「エヴァンゲリオン」というコンテンツに終止符を打つための155分だったのだ。
アニメ版エヴァンゲリオンが放映されていた当時と比較して、現在のアニメ業界は変わってしまった。
技術は飛躍的に進歩し、アニメーション制作のノウハウは蓄積された。
しかし、エンタメとして新規の作品を生み出すことは非常に難しくなってしまっている。
旧作のリメイクや漫画原作の映像化の多さからも、供給側の商業的な側面を覗き見ることが出来るだろう。
しかし本来、アニメーションとは目的ではなく、ツールなのだ。
文章や静止画、実写では不可能な表現を作品に落とし込むために選択する手法として、アニメは存在する。
その事を私に教えてくれた作品が、他ならぬ「エヴァンゲリオン」だった。
今後、エヴァンゲリオンのような作品が世に送り出されることはないのかもしれない。
これはもう、制作者の熱意の問題ではない。時代が許してくれない。
大袈裟な言い方をすると、エヴァンゲリオンこそが文字通り、「我々人類の最後の切り札」だったのだ。
そのエヴァンゲリオンが終わってしまった。
ただそれでも、ひとつのコンテンツを文化と称して飼い殺すことだけはしてはならない。
心のどこかに大穴が空いてしまったような虚無感はあるけれど、庵野監督のように、シンジのように、視聴者も大人にならなければいけないのだろう。
また会うためのおまじないと信じて
さよなら、エヴァンゲリオン