立てば食欲座ればご飯

歩く姿は貴乃花

我々はなぜゆゆ式2期を待ち続けるのか

2018年の冬アニメもいよいよ佳境を迎え、眠れない毎日を過ごしている人も多いだろう。豊作?不作?人によって捉え方は様々であろうが、それを語ると同時に忘れてはならないことがある。

 

それは春アニメの放送が刻一刻と近づいているということだ。そして悲しいことに春アニメが始まった途端、今放送されている多くのアニメは忘れらさられてしまう。そんなことはない?果たして本当にそうだろうか。では一体どれほどの人が2017年に見ていた作品達を思い出せるだろう。自分も含め、まったくもってなさけない話ではないか。しかしそんな移り気な性格の私達の心を、2013年の放送以降掴んで離さない稀有な作品がある。

 

言うまでもないが敢えて名前をだそう。そう、ゆゆ式だ。

 

まず誤解を恐れずに言うと、この作品は私達を秀逸なストーリーで楽しませてくれるものでは無い。所謂日常系アニメというジャンルに括られる作品だ。しかし、日常系アニメと言っても毎クール星の数ほどの作品が放送され、そして忘れられている。なぜゆゆ式だけがここまで私達を惹き付けるのだろう。

 

理由は単純だ。なぜなら、登場人物がその世界の中でちゃんと生きているからだ。
作者の都合も視聴者への気遣いも介入しない完全に独立した空間。日本のどこかの町のどこかの高校のどこかの教室でありそうで、決して存在しない場所。そこで行われる彼女達の会話はこれ以上無い程にどうでも良く、これ以上無い程に魅力的だ。

 

昨今の日常系と呼ばれるアニメたちを見渡してみよう。バラエティ番組宜しくボケとツッコミをして存在しない誰かを笑わせようとする登場人物達。 視聴者のために脈略もなく海や温泉に行き服を脱ぎ、今までの会話や展開を完全に無視した場面の転換も散見される。そういう作品が見たいのなら、コメディでもポルノでも人形劇でも十分であろう。

 

そういう現状である以上、私達がゆゆ式を求めるのは至極真っ当である。荒んだ日常系アニメ界の中で一縷の光となりうるゆゆ式2期。

 

かつて陶淵明が戦乱の世の中に求めた桃源郷宮沢賢治が創作の中に見出したイーハトーブが私達にとってのゆゆ式2期なのだ。